3回目の風俗

 ピンサロ、格安ヘルスに行くものの逝けずじまい。 

 5月中旬は東京旅行と同じく全く行く用事もないのだけれど大阪に旅行することになっていたので、大阪の風俗を体験することにした。

 リサーチをしていると知らなかったことがあって、大阪にはソープがないのだ。理由はググったらたくさん出てくるけど、ちょっと驚いたのを覚えている。

 大阪はマットのヘルスに行った。風俗3回目にして初マットを経験する。

 大阪に到着したらすぐヘルスの店舗に行き店員に今から入れる嬢を伺う。当時は風俗で嬢を予約するという行為をしていなかった。(知らなかったのが正しい)

 17,000円だろうか、現金で支払う。確か70分だった。

風俗店に入るときの緊張感はなんだろう。あの通行人に見られやしないか、あいつは風俗店に行くのかと自意識過剰なのだろうが慣れない。

 案内された嬢は、20代前半で芸能人の誰かに似てた。黒髪で165cmぐらいで小ぶりなおっぱい(Cぐらい)だった。

 マット嬢はすごい慣れたもので、淡々とわたしを誘導してくれる。服を脱ぎ、体を洗ってもらい、風呂に入り、歯磨きをし、イソジンをし、バスタオルで体をふき、マットへ。

 ローションを体に塗られ、嬢がわたしの体に覆いかぶさる。おっぱいが体にあたり興奮を覚える。陰毛が太ももにあたりじょりじょりしたり、フェラとキスをしてもらった。 この嬢はとても献身的で(3回しか風俗経験してないけどそれでもわかった)嬉しかったのを覚えてる。

 嬢は手こきをしてくれるのだけど、他人に手こきされても全然気持ちよくないのが改めて分かった。これはオナニー歴が長かった弊害だと思う。3回目の風俗で確信した。

 もう何としてでも逝きたいので、自分の手で嬢には乳首をなめてもらいながら、逝った。初めて風俗で逝けた。

 その後のトークは大阪観光について、おいしいお好み焼き屋、西成の変なおじさんについてだったと思う。

 話は変わって、大阪といえば飛田新地であろう。大学の時から結構大阪には頻繁に旅行に行っていて、行くたびに飛田新地を無駄に歩くのが趣味だった。今回の旅行でも飛田新地をただ歩いたが、こんなに風俗で逝きにくいのに、飛田の短時間なんて私には無理だろうなと悟るのであった。

 でも、やっぱり綺麗な人が多く、無類のギャル好きにはたまらない派手な人が多くてたまらん。

 

 

2回目の風俗

 東京の初ピンサロで逝けなかったことがどうしても悔しかった。2回目の風俗は地元の格安ヘルスに行った。確か8000円ぐらいだっただろうか。格安でもいいから嬢に抜いてもらいたい気持ちがいっぱいだったのであろう。

 今年5月のGW地元の格安ヘルスに行った。店のHPで一番ましそう(とても失礼な表現だが)な嬢を指名した。2回目となると受付の際も慣れたものである。

 お金を支払い案内された嬢は、写真となにか違う・・・。そう、うわさに聞くパネマジを味わってしまったのだ。抜ければいいやと思っていたので、パネマジはこの業界ならしょうがないであろうとあきらめて心を穏やかにする。

 部屋に案内されると嬢から色々と指示されるのだが、命令口調なのだ。わたしは元来Mっぽいなと思っていたのだけど、命令されるとなにかムカムカしてしまう。

 裸になりフェラをされるのだが、フェラしながらケータイをいじったり、そもそも嬢の体が貧弱で興奮しない、態度がそもそも腹が立つで、結局また逝けなかったのであった!

 今回はこれがきっとネットで書かれることの多い「地雷嬢」に出くわしたのだろうと諦め2回目の風俗も逝けずじまいで幕を下ろす。

 でも、フェラはやっぱり気持ちよかった。

 

 

初風俗に行く

 前回の記事で書いたが、2月に立ちが悪くなり危機感をもったことが相当自身にとって根深い悩みとなることになった。2月はたまたま東京に何の予定もないが旅行をに行くことになっていて、これを機に初風俗に行くこととなる。

 ネットで初風俗は「ソープ」に行けと書かれているのを見る。結構わたしはネット掲示板を見ていたもので風俗ネタはにやにやしながら書き込みを思春期から傍観していたのである。

 ふと風俗といっても、色々ジャンルがあることを32歳にして知るのであった。調べると、デリヘル、ヘルス、ピンサロ、オナクラ、言葉は聞いたことがあるのだけど、具体的なプレイ内容や相場観、嬢に対するイメージなど全く未知であった。

 初風俗はソープに行け。この言葉は当然頭の中にあったのだが、何かいきなりソープに行くのは怖さを感じてしまい、初風俗は「ピンサロ」に行くことに決めたのであった。今となれば、何を考えているだ馬鹿者!!と言ってやりたいのだけど、振り返っても遅く、まぎれもなくピンサロに行ったのであった。

 東京の滞在するホテルの中で結構調べたのを覚えている。リサーチの結果、五反田のピンサロに行くことにした。自身の性癖は無類のギャル好きで髪の毛が明るくネイルもド派手でアイメイクもばっちりであればなお良し見たいなところがあり、初めてを捧げるにはやっぱりギャルが良くて、店のHPにギャルっぽい子が載ってたのが選定理由だったと思う。

 当日は、何も予約もしなくて、10時の開店同時を狙い五反田に向かった。ATMではぼったくりとか予想外の値段を請求されたらいやなので、ネットで調べた料金の倍の現金を引き下ろす。

 開店狙いはもちろんネットで他の客の接客した後のサービスが嫌なら開店と同時に行けと書き込まれていたのが所以である。

 店の中に入る。ドキドキである。

受付の店員 「予約してますか」

  わたし 「していません」

   店員 「それならフリーでよろしいですか」

  わたし 「すいません、初めてなものでわからないのですが、

       ギャルっぽい子がいいんですが・・・」

   店員 「そうですか、それならこの子はどうですか指名料かかります」

  わたし 「お願いします。」

 こんなやり取りだったと思う。財布からさっきATMで下ろした現金7000円ぐらいだったろうか、支払うのである。初めての風俗なので支払うときに勿体なさを全く感じなかった。

 マウスウォッシュとトイレを済ませ案内され待つこと5分。

    嬢 「こんにちはーはじめまして」

   わたし「こんにちはーよろしくおねがいします。」

    嬢 「お兄さん緊張してるねそんなしなくても大丈夫だよ」

   わたし「こういうところ初めてなもんで緊張しちゃって」

みたいな、ネットの書き込みでありそうな会話をリアルでやりとげたのであった。

ピンサロに行ったもののどんな感じなのか全くイメージがわかないままだったのだが、ボックス席みたいなのが8席ぐらいあって、ほかの客と嬢がいるのはわかるけどぎりぎり見えないようになってて、店内は爆音のEDMが流れていた。

 嬢はたしかにギャルっぽかったけど実にダルそうである。そして声がガラガラなのだ。最初のトークで風俗初めてと宣言したのが聞いたのか、嬢は色々と誘導してくれた。パンツを下ろし、嬢は上半身裸となり「おっぱい」を見せてくれた。それとラッシュのにおいがすごかった。

 話はだいぶそれるが、小さいとき温泉の女風呂に母親と一緒に連れられて入ったきり、生の女のおっぱいを見るのは久しぶりであった。小さいときは性に目覚めておらず別に男の目線でおっぱいを見ていなかったから、ピンサロ嬢のおっぱいは新鮮だった。ちなみに大学の時はバンコクに行ってゴーゴーバーでおっぱいを見たけどあんまり興奮しなかった。

 話は戻り、嬢に最初はキスをしてもらった。初めてのキスの感触はとても柔らかくとろりとしていた。味は嬢は結構ケアをしていてくれていたのだろうミントガムの味がした。そのあとはフェラに入る。初めてのオナニー、初めてのオナホ、これらと同様な衝撃が脳裏を駆け巡った。舌のやわらかい肉が亀頭を行ったり来たり。

 ピンサロに行く前はサービスを受けたらすぐ逝くのだろうと勝手に思っていた。youtubeでもピンサロに連日何回もいって抜く企画もよく見ていたこともあり先入観があったのである。

 だが、しかし、わたしはダメだった。緊張のせいだろうか、ピンサロの店内の雰囲気だろうか、逝かないのである。嬢がフェラをしてくれてるのにも関わらず、萎えてしまう。萎えたのを見かねて嬢はキスをしてくれる、キスされるとまた立ちはじめ、フェラが始まるが結局時間内に逝けずじまい。

 もうこれは無理だろうと「もう大丈夫です、ありがとね」と宣言し、プレイをやめてもらってピロートークに移る。地方から来ていて東京の観光地おすすめありますかと聞いて時間をつぶした記憶がある。

 そんなこんなで、初風俗は逝けずじまいで店を出ることとなった。ただ、初キスと生おっぱいを見れたことだけでも当時は達成感があった。その後ホテルに戻った後ピンサロの記憶を頼りにオナニーを2回するのであった。

 初風俗で得た反省点は以下のとおり

 ・場慣れ(経験値)をすること

 ・リサーチの徹底

 

性の目覚めとわたし

 気が付けばオナニーをするのが普通だった。

 あれは中学生の頃だろうか。性教育が保健の授業で行われていたけど、どうやったら精子がでるのかはわからなかった。学校から帰ってきた後、ふと「ちんちん」をしこしこしていると何だか気持ちよくなり、このままやり続けるとどうなるのかと、試したくなり、その後も「しこしこ」すると、震えるほどの快楽がやってきて、今まで出てこなかった精液が、ドピューっと出てきた。発射した後は、気持ちよさと嫌悪感に襲われた。その精液の処理にも困ったのを覚えている。

 初オナニーエピソードはこんなもので、これをきっかけにオナニーが始まる。中学生の時にはパソコンとインターネット回線は繋がっていたもので、「おかず」には困らなかった。毎日オナニーをしていただろう。

 大学生になり、親元から離れた。手でしごくだけでは物足りず、アマゾンで「オナホール」を買った。本音を言えば、女の子とエッチをしたかったのだけど、勇気と自信がなかったのである。オナホはきっと「膣」と似たようなもので、どんなものか体験してみたかったのだ。

 初めてのオナホは、中学生の初オナニーと比べると鮮明には覚えていないけど、「腰が抜ける」言葉が一番適格だった。しごくときは、亀頭に纏わりつく感覚は得られないのだけれど、オナホはそれを与えてくれた。そんなこんなで大学生のときは、オナホを多用したオナニーに目覚める。

 社会人になった。オナホは片づけるのが面倒で結局しごいて済ませることが多くなった。社会人になったくせに道程のままでこじらせ人生を歩んでいくことになる。

 私は今32歳なのだけど、今年の2月にショックなことが起きた。いつものようにオナニーをしようと思いしごきはじめると立ちが悪いのである。仕事で忙しさもあったのかもしれないが、これは自身にとって大きな悲劇であった。32なのに童貞でしかも立ちが悪くなっていく現実、加齢を認めたくないが現実は歳をとったのである。

 それがきっかけで今年の2月から風俗に行くのであった・・・。